「たかが」である私 [DIARY]
香楠は既存の型にはまらないオルタナティヴな生き方を模索している。
けど多数派と違う生き方をするためには「才能」とか「運」とかいう免罪符が必要なのだ。
香楠にはそのいずれもない。
才能も魅力も知性も名声も権力も人脈も人徳も体力も運も何も持たない。
他人から無下に扱われると腹が立つが「ああ、所詮私なんかが相手にされるわけがないな」と妙に納得して惨めにもなる。
どうしたらちゃんと存在を認めてもらえて、話を聴いてもらえるのかがわからない。
人より抜きん出たいという野心は立派なくせ、十把一からげな存在であることがもどかしい。
露出さえすれば何かの足がかりになるというのはとんだ思い上がりで、クズは所詮クズで、きらめく「何か」がなければ相手にされない、ということを今年思い知った。
何も持たない香楠はこの先どんなふうに生きていくのだろう。
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